Column

2000/05/31

情と無知

日本という国はどこか歯車がかみ合ってない。信じられないような様々な事件や事故が起きる。技術立国であったはずの日本が、至る所でヒューマンエラーによる事故で人命が失われている。

技術は人の為になっていないのか。御巣鷹山の日本航空墜落事故。一挙に500名以上の人命が失われた。山崎豊子さんが書いた「沈まぬ太陽」、単なる航空機の構造的な問題で起きた事故ではないようだ。航空会社の安全に対する取り組みの甘さが原因であった。一つの事故から航空関係者は何を学んだのだろうか。おぞましい事故はまだ続く。

99年10月1日。日本のアトムバレー東海村で起きた放射能漏れ。これは事故などというものでではなく、犯罪にと呼ぶに相応しいヒューマンエラーであった。化学反応と核反応の違いも知らない職員が犯した立派な犯罪。そのような社員に危険な仕事を託していた企業の責任。それは日本に漫洩する「無知」「無責任」から来るものであった。 ところがここでいつものような場面となる。

犯罪とも思える事故を犯した企業の社長は住民を前にしてひざまづいて謝罪するのだ。そのTVで見るその光景は日本的謝罪の定番といなってきた。「無知」と「無責任」の次は「情」に訴える気であろうか。住民も怒りをあらわににするものの、最終的な「情」という日本的解決によって問題の本質は忘れ去られ、真実が闇に葬られてしまうではないか。この「情と無知」が現代の日本社会を見事に表しているようだ。この話をさらにリアリティのある本に記載されていた。中坊公平氏。住専機構の社長に就任するなり、国民に二次負担をさせないという信念でかずかずの問題を解決してきた中坊社長は、その自叙伝でこう書きつづっている。「森永ヒ素ミルク事件の弁護士を引き受けたですわ。しかし実際の被害者に会ってみると、そこにあるのは自分を責める母親の哀れな姿であった。自分の乳を飲んで障害を受けた我が子の悲劇に、森永を恨むのではなく自分を責める母親。現実はここにあったのだ」

この話を知ったとき、何ともいえぬ悲しさを感じてしまった。同じようなことが交通事故の被害者にもいえそうだ。「あのとき学校に急いで行かせなければ事故に遭わなくてすんだ。私がいけなかった」と責める親。交通事故の悲しさは偶然決な出来事として、「運が悪かった」とあきらめるしかないことだろうか。後始末は、その業務上あるいは民事上の責任だけで問題が片づけられてしまっていることである。

事故そのものの原因と、衝突という物理現象のなかで人間がどうやって死んでしまうのか、そのメカニズムさえ知らされることはない。事故が多発してもその交差点に対策が講じられることは珍しい。せいぜい事故を引き起こした加害者の社会的な責任が問われるだけだ。 雨の日にクルマがスリップしてもタイヤやクルマの安全性が問題になることはまずない。雨で水がたまってしまう路面のわだちを、修復する予算は道路管理者側にないと言われている。

多くの事故から我々は一体何を学んでいるのだろうか。事故を再発させないような取り組みは誰が、どのようにおこなわれているのだろうか。