Column

2000/05/31

安全認識の欠落

最近、和歌山に後援会にでかけた。赤信号でものんびりと交差点を自転車でわたる人がいた。こんな光景はここでは珍しくないという。まるで時間がまのびしているかのようにのんびりとした生活リズムであるという。それと交差点の信号を赤で渡ってしまうこととどんな関係があるのだろうか。

東京でこのような暮らし方をしたら命がいくつあっても足りないのだ。クルマという文明の利器の怖さや実体が理解できていない。そう考えていると今度はスーパーの駐車場からでてきたクルマが目の前を横切った。当然駐車場から一時停止するものと思っていたが、そのドライバーは左右安全確認した上で飛び出したのだ。開いた口が塞がらない。ベルトの装着状況はそう悪くない。といっても和歌山県は全国で下の方だ。

逆に滋賀県は優秀だそうだ。一方、大阪ではベルトの装着率が低いと聞いた。なぜだろうか。大阪は大都会なのに?地元の人の話では関西では「だめでもともと」という「情」があるという。また大阪人はけちなので、罰金がない法律は守らないとも言われている。となるとシートベルトとチャイルドシートは見通しが暗そうだ。しかし、これが現実なのだ。かれらに安全の認識を植え付けることは困難かもしれない。アメリカでも州によってベルト装着率の低い州がある。かれらはクルマ社会に潜む危険にあまりにも「無知」であり、いつ加害者になっても、被害者になっても不思議はないのである。この日本的な「情と無知」はあらゆる場面で顔をだす。