Column

2012/04/13

トヨタ86/スバルBRZ 1

2ドア・クーペという今の時代には営業的に厳しいパッケージのスポーツカー、
トヨタ86/スバルBRZが実現したのは、商品企画構想がトヨタの経営判断で認められたからだ。

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その推進役となったのが豊田章男社長(当時は副社長)である。かつてのAE86(レビン/トレノ)のようなブランドイメージのクルマを持ちたいというトヨタのスポーツカーの商品企画は、以前からあったようだがなかなか決断が下されなかった。しかし、トヨタがスバルの株式を取得してからは両社でクルマを共同開発することがひとつのテーマになっており、トヨタがスバルに共同開発を提案したのは2007年のこと、自然な成り行きであった。


これがトヨタ86/スバルBRZ開発のキックオフであったといえるが、この時点ではスバルの水平対向エンジンを使用すること以外は決まってはなかった、小型スポーツカーとすることが決まったのはそれより後である。

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SUBARU BRZ

両社の役割分担はトヨタが商品企画とデザインを担当し、スバルが開発、設計、製造を受け持つことになった。豊田社長(企画スタート時は副社長)直轄プロジェクトの統括責任者としてトヨタの製品企画室・多田チーフエンジニアと社長直轄のスポーツ車両統括部が担当し、スバル側は通常の車両開発責任者であるプロダクトプロジェクトマネージャーではなく、商品企画本部・副本部長・上級プロジェクトゼネラルマネージャーの増田氏が担任することになった。両社ともこの企画は特命プロジェクト扱いになり、トヨタでは通常の社内各部署の稟議を経ることなく、少人数の独断専行型でプロジェクトが進行。スバル側は、プロジェクト推進が重視で通常の採算性が半ば無視された。

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TOYOTA 86

こうした両社の事情により、通常の営業見通し、コスト計算や社内のプロジェクト評価が適用されない空前のプロジェクトが進行した。もちろん開発中の評価は両社でそれぞれが行うが、それぞれの評価は問題ないとしても、評価データの擦り合わせには困難が伴った。両社の社内設計基準や、評価時の評価基準でかなり隔たりがあったからだ。当初はそれをどのように扱うかが大きな議論になったようだ。

<トヨタ86/スバルBRZ 2 へ続く>